DAIFUKU

障がい?障害?

よく、公共の場などであるけど、差別になるからと、障害の害をひらが表記することが当たり前になっている。私は、ここに違和感を感じる派。
表記を変えること自体、差別じゃない?と思うから。合理的配慮ってこういうことじゃないと思うから。

私が最初にこの世界に足を踏み入れた原点にいた人、花田貴博さん(1975年4月〜2020年3月)という当事者は、「害が平仮名となると、害がなくなる。害があるから、僕たちが伝えていくこともたくさんある。害って、僕らにあるわけじゃない、害は【ガイ】でも【がい】でも【碍】でもあまり変わらない」ってよく言ってた。

実はあんまり意識してなかった私だけど、意識すると、「あ、確かに」と思う。
私も自分で障害当事者とわかりやすいからよく使うけど、がいでも害でも私自身は変わらない。障害は私の中だけにあるわけじゃなくて、社会全体にあるから。表記はどうでもいいのかなと思ってます。だから私は害を使います。

表記を変えて優しいイメージになっても、本当の意味の優しさや理解ってことじゃない。表記を変えることより、知ることが大事。
でももし、害、外、碍、どれかどうしてもというなら障外か障害か悩むかも(笑)。

差別はなくならない。何故なら生き物だから。生きていると自分と違うものは排除して生きやすくしようとするから。

理解ってよく言うけど完全にその人と同じになっても感じ方は違うから、わかることはできない、無理にわかりましたって言わなくていいと思う。わからないから生まれるコミュニケーションもあると思う。

まずはそこにいる1人の人に興味を持ってもらうこと。差別は当事者の中にもあるし、外にもあると思うから。
まずは知ってもらうこと、興味を持ってもらうことが一番かな。
知る機会をどんどん掴んでほしい。
障害者として生きる縁もらったから、知る機会をもっとたくさん増やしたい、そんなふうに思います。

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